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土蜘蛛紀行 豊後編
其之壱、五馬─イ、玉来神社
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狭山田女:ここはどこだろう?高原のようだね。
大山田女:ここは大分県日田市の南東部、五馬市(いつまいち)。単に五馬とも呼ばれます。五馬高原とも言われますね。豊後国風土記には五馬山という名で登場し、土蜘蛛の五馬媛(イツマヒメ)がいたために、そういう地名になったと書かれています。詳細はこちらに。

狭山田女:土蜘蛛のお姫様がそのまま地名になってるんだ。
大山田女:もちろん、地名が先か人名が先かは定かではありませんが、今でも地元の人は五馬媛さんを強く意識しています。五馬を巡るとそれがよく分かりますよ。まずはこちらの玉来(たまらい)神社に参拝しましょう。かつては五馬神社と呼ばれたそうです。


狭山田女:小山の上に神社があって、その中のさらに高い場所に神社があるんだね。
大山田女:聖地にふさわしい場所ですね。
狭山田女:五馬媛さんも巫女だったんだろうけど、ここで神祭りをしたのかな。
大山田女:まず間違いなくそうだと思いますよ。ほら、あそこの案内を見て下さい。

狭山田女:えっ!この神社は五馬媛さんを祭ってるの?!
大山田女:ええ、全国の中でも土蜘蛛を祭る神社はここだけだと思います。
狭山田女:しかも、この案内には天皇が祭ったって書いてあるよ!そんなの聞いた事ないや。土蜘蛛って普通は天皇に討たれる存在でしょ。あたし達みたいな例外もいるけどさ。


大山田女:はい、しかしそういった例外でも、良くて何かの貢献をした結果誉められる程度です。土蜘蛛が神社に祭られる事も異例なら、天皇が祭るというのも異例。それも、景行天皇というのは、豊後国風土記でもそうですし、私達について書いてある肥前国風土記や、日本書紀でもそうですが、九州各地で土蜘蛛を討伐したと書かれている人です。ただし、景行天皇が祭ったとしているのは、この神社の社伝であって、風土記には、単にここに五馬媛という土蜘蛛がいた、と書いてあるだけです。もちろん、反逆したとか討たれたとかいう事も書いてはありませんが。
狭山田女:何か貢献したっていう話もないんだよね。
大山田女:ええ。朝廷側に貢献したと書かれるような例外的な土蜘蛛でも、神として祭られる事も、天皇に祭られたとされる事も全くありません。ですから、さすがに天皇や朝廷が実際に祭ったという事はないと思います。だとしたら「土蜘蛛」と呼ばれる理由が分かりません。もっとも、この例から逆に、土蜘蛛という呼称を、蔑称とは限らないと再考する事もできるかもしれませんが、もし、朝廷側が神として祭ったのならば、はじめから風土記に神として書かれるか、少なくとも何かしら褒め称える内容を書くでしょう。
狭山田女:でも、実際に今も神様として祭られてるからには、間違っても討たれた事はないだろうね。
大山田女:討った敵方の将を、敵方の土地の統治のためや、怨霊となって祟る事を恐れる為に、神として祭るという例もあります。だから討った五馬媛さんを神として祭った、という事も考えられなくはありません。しかし、それは敵方の勢力が巨大な場合です。その場合、大きな事件として、何らかの形で古事記や日本書紀に書かれるでしょう、少なくとも「悪神」くらいには。ところが、風土記にすらわずかな記述しかなく、しかも神とも呼ばれない。それに「土蜘蛛」というのは小勢力にしか使われていませんからね。要するに、敵だとしても「神として祭る程の事もない」と軽んじられている訳です。
狭山田女:でも土蜘蛛って呼ばれるからには、戦いはなくても、そんなに従順じゃあなかったのかも。
大山田女:何かしら朝廷側と緊張関係はあったかもしれませんね。五馬媛さんは知恵者で、巧みに戦争を回避したかもしれません。
狭山田女:それなら神様として祭られるのも分かるね。土地を守った英雄だもんね。
大山田女:ここに至る道は険しく、現代ですら交通の便が良いとは言い難い場所ですから、少々緊張関係があったり、反逆的だったりしても、問題にならない程度なら無視したのかもしれませんけどね。五馬媛さんの方が、そういう地形的な長所を生かして、外交的に上手く立ち回ったのかもしれません。
狭山田女:まあ、何にせよ、余程土地の人に慕われていたんだろうね。そうじゃなきゃ、神様として祭らないもんね。
大山田女:そうでしょうね、生前から尊敬されるシャーマンで、土地の人が偉大な祖神として祭ったのでしょう。それにしても、後世、土地の人も祖神が「土蜘蛛」と書かれている事を知る機会はあったのでしょうが、それでも祭り続けたからには、篤い信仰があったのでしょう。「天皇が祭った」というのは、後の世の人が、豊後に伝説の多く残る景行天皇に結び付けたのでしょうが、それは偉大な祖神を権威付けると同時に、「土蜘蛛」という蔑称を相対的に無化するためだったのかもしれません。それはそれで、土地の人の並々ならぬ祖神への敬慕を感じますね。また、そういう土地の人の思いは、尊敬すべきものだと思います。

狭山田女:うん、この土地の人の五馬媛さんへの信仰が篤い事は間違いないね。正真正銘の「氏神様」だ。
大山田女:では、土地の人のそうした思いに敬意を払いつつ、参拝する事にしましょう。こちらが拝殿ですね。

狭山田女:拝殿の天井に、立派な絵があるね。キレイだなあ。
大山田女:見事な天井絵ですね。なかなか保存状態も良いようです。

狭山田女:こっちは本殿だね。
大山田女:なかなか立派なご社殿です。
狭山田女:そういえば、さっきの案内に何体か神像があるって書いてあったね。五馬媛さんの神像かなあ。どういうものか、気になるねえ。

大山田女:もし五馬媛さんの神像だとしたら、他に例のない「土蜘蛛の神像」ですからね。神社と言うのは複数の祭神を祭っている事や、祭神が変わる事も多いので、別の神様のものかもしれませんが。
狭山田女:どっちにしても、ご神体かも知れないし、簡単には見せてもらえないだろうけど。

狭山田女:この神社の境内には立派な杉が沢山あるね。
大山田女:先程の案内には大杉が七本あると書いてありましたね。
狭山田女:あっ、杉の根元の方に、何か飾られてるよ。

大山田女:「道祖神天狗」と書いてありますね。
狭山田女:道祖神と天狗?妙な組み合わせだね。
大山田女:この組み合わせで思いつくのは「猿田彦神」ですね。どちらも外からやって来る災いから集落を守る性質の神で、実際に同一視されています。また、猿田彦神は、神話に背と鼻が高く、赤い顔をしていると書かれていて、天狗の原型とも言われています。そういう訳で、道祖神と天狗が結び付く例はない訳ではありません。しかし、一般にイメージする通り、道祖神は男女の姿で描かれる事が多く、珍しい事に違いはありません。このように、「道祖神天狗」と書いたお札を木に掛けるのは、初めて見ました。

狭山田女:こっちのお社は何だろう……「生目八幡宮」って書いてあるよ。
大山田女:「生目(いきめ)」と言えば、宮崎の生目神社が有名です。これはその分祠でしょうね。
狭山田女:「生目」ってからには、目の神様なのかな。
大山田女:ええ。九州では割と盛んな信仰です。起源には諸説あるようですが……。

狭山田女:何か掛け軸のようなものが飾ってあるよ。この神様の像みたいだね。
大山田女:生目神社の起源で一番有名なものが、源平の争いに敗れた後、宮崎にやって来た平景清(たいらのかげきよ)が、源氏への復讐心を断つ為に自らの目をくり抜き、土地の人がその目を祭ったというものです。これはその平景清の像か……畳の絵からすると、八幡神かも。
狭山田女:確かに、よく見ると右上に「景清」と書いてある。
大山田女:「かげ清く照らす生目の水鏡、末の世までも雲らざりけり」という御神詠、つまり神様が詠んだ歌が書かれています。平景清が復讐のため源頼朝を付け狙ったという伝説は、能や浄瑠璃、歌舞伎の題材などにもなっています。

狭山田女:う~ん、復讐に燃えたり、目をくり抜いたり、土蜘蛛以上に壮絶な伝説だね。
大山田女:私達「土蜘蛛」も、復讐に燃える伝説が、能などになっていますけどね。
狭山田女:あ、ある意味では、お仲間かも。
大山田女:なお、生目神社の由来には、他にも色々説があって、今も境内に湧く、眼病に効くという泉に対する信仰が古くからあったというものや、景行天皇の九州征伐時に、父の垂仁天皇を祭ったという説があります。垂仁天皇の和名は、活目入彦五十狭茅尊(イクメイリビコイサチミコト)といいます。
狭山田女:すると、景行天皇つながりでここに祭られたのかな。
大山田女:そういう可能性も、ないとは言えませんね。「八幡」の名が示す通り、ここと同じ大分県にある、全国八幡宮の総本宮・宇佐神宮との関連も古くからあったようですが。
狭山田女:なるほど……とにかく、変わった信仰がいっぱいの神社だね。


大きな地図で見る
大山田女:それだけ、土地の人が信心深いという事かもしれませんね。
狭山田女:そうだね。とりあえず、「土蜘蛛」と呼ばれていても、ご先祖様として大切にしているところだというのは、よく分かったよ。
大山田女:この土地と五馬媛さんとのつながりを示す場所は、他にもありますよ。次はそちらに行ってみましょう。
狭山田女:凄い場所だね、五馬というところは……玉来神社への行き方は、左の地図を参照してね。



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