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土蜘蛛紀行 豊後編
其之壱、五馬─ロ、元宮神社
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狭山田女:ここも神社だね。玉来神社よりは、境内が少し小さいかな。
大山田女:こちらは同じ五馬市にある、元宮神社です。

狭山田女:この神社は、玉来神社みたいに、五馬媛さんを祭ってる訳じゃないのかな。
大山田女:こちらの神社は違うようです。ほら、拝殿の扁額を見て下さい。

狭山田女:八幡宮……ここは八幡神社なんだ。
大山田女:そういう事ですね。八幡神を祭る神社です。まずはお参りして行きましょう。

狭山田女:こっちが本殿か。立派なご社殿だけど、特に変わったところはないかな。でも、わざわざここに来たって事は、何かあるんでしょう?
大山田女:もちろんです。ほら、社殿の左を見て下さい。
狭山田女:ん?あれ、垣根に囲まれた石碑が……。


狭山田女:あっ!「五馬姫命之墳墓」って書いてある!これが五馬媛さんのお墓って事?
大山田女:というより、お墓の上に神社が建っているのです。
狭山田女:えっ!ここがお墓の上?もしかして、大きな古墳?

大山田女:ほら、これを見て下さい。
狭山田女:わあ、本当に古墳なんだ。
大山田女:「前方後円墳にして、頂部で長さ四十米、巾三十米である。」と書いてありますね。それなりに大きな古墳だと思います。もっとも、発掘はまだされていないそうで、本当に古墳かどうかははっきりしていないそうですが……。

狭山田女:そうなんだ。神社の境内そのものだし、五馬のご先祖様のお墓って事なら、土地の人も発掘したくないかも。
大山田女:そうですね。研究機関の時間や予算の問題かもしれませんが……ともかく、この神社の建つ小高い丘が、古くから五馬媛さんのお墓だと言われてきたのは確かなようです。
狭山田女:五馬媛さんを大切に神社に祭ってきた土地だから、お墓の言い伝えがあるのはよく分かる。神社とお墓が別の場所にあるっていうのも、もっともな感じ。
大山田女:神殿と墳墓は別物ですからね。墳墓というものはみだりに触れるものではありませんから。たとえ墳墓の主を祭る神殿でも、あまり墳墓の上には作りません。隣接している事はよくありますが。

狭山田女:あたし達の故郷の割と近くの、吉野ヶ里遺跡でもそうだったもんね。主祭殿の奥に墳丘墓があって、墳丘墓を拝むための祠も、その手前にあった。
大山田女:そうですね。もっとも、古墳の上に神社が建てられるという例も、ない事もありません。古くは神聖視され、日頃触れないようにしていた墳墓が、後になって、神聖視している事だけは伝わっていても、意味が曖昧になったり、宗教観が変わったりして、その上に新たに神社が建てられるという事はあります。あるいは、神社ではなくて、お地蔵様とか観音様とか、仏教系のお堂が建つ場合などもあります。これに関しては、お墓という言い伝えが何らかの形で残っており、それを供養するという意味の場合もあるでしょうね。
狭山田女:このお墓も、はじめ神聖視して触れなかったのが、時間が経って、神聖なものだと分かってはいるけど、そういう場所に神社がないのはきまりが悪くて、建ったのかな。
大山田女:そうかもしれません。祭神は八幡神のようですが、五馬媛さんも祭っていたのかもしれませんし、今もそうかもしれません。神社の「元宮」という名称も、少々気になるところではあります。もしかすると、玉来神社に対する「元宮」なのかもしれません。いずれにしても、伝承上の事ですから、あまりはっきりした事は分かりませんが、ここが五馬媛さんのお墓という言い伝えがあるのは確かですね。
狭山田女:そうだね、そういう言い伝えがあるという事自体、土地の人が五馬媛さんをご先祖様として大切にしているというのは確かだね。同じ地域に、五馬媛さんを祭る神社もある訳だし。
大山田女:ええ、公的な記録にはっきり「土蜘蛛」と書かれるような存在が、こうして今も大事にされているという場所は、他に例のない、大変珍しい事で、それだけでも驚異と賞賛に値すると思います。公的な記録に「土蜘蛛」と書かれていようと、五馬媛さんは、紛れもなく今も五馬の祖神なのです。

狭山田女:うん、凄い事だ。あ、本殿の左側にも石碑があるよ。
大山田女:「景行天皇御遺蹟」と書いてありますね。
狭山田女:景行天皇っていうと、五馬では玉来神社に五馬媛さんを祭ったって事になってたね。神社の案内に書いてあった。
大山田女:そうですね。それを記念したものでしょう。

狭山田女:でも、風土記にはそんな話はないんだよね。ただ、この土地に五馬媛さんがいたから、五馬山って地名になった、って書いてあるだけ。
大山田女:はい。記念碑も幕末から戦前に建てられたものでしょうが、特別古い記録がある訳でもないのに、こうした記念碑が建つということは、その伝承が根強いものなのでしょう。神代とも言うべき昔に、天皇がやって来たという言い伝えがある事は、土地の人にとって大きな誇りなのだと思います。そして、一番の誇りは、その天皇によって祖神が祭られたということなのでしょう。五馬の人達の、土地に対する愛着が感じられますね。
狭山田女:きっと誇り高き五馬媛さんの末裔という思いがあるんだろうね。

大山田女:本殿の右側も見てみましょう。
狭山田女:どっちの碑にも「猿田彦大神」って書いてある。これも、玉来神社にあった「道祖神天狗」っていうお札と似たようなものかな。
大山田女:ええ、同じ類の信仰だと思います。
狭山田女:五馬媛さんと猿田彦神は何か関係があるのかな。

大山田女:猿田彦神や道祖神は非常に一般的な信仰ですから、どうだか分かりませんが、玉来神社のお札と合わせて考えると、そうした信仰の強い土地ということは言えるかもしれません。

狭山田女:なるほど。奥には別の祠があるよ。おや、中に神様の像がある。
大山田女:特に何も書いてありませんので、どういった神様を表した像なのかは分かりませんが……なかなかディテールの細かい石像ですね。笏を持って袴をはいているように見えますので、仏教系の像ではなさそうですね。頭は僧形のようにも見えますが。

大山田女:神社の右側へ降りてみました。ここから見ると、神社が丘の上にあるというのがよく分かるでしょう。
狭山田女:わあ、ほんとだ。う~ん、確かに古墳ぽい形だなあ。
大山田女:高さも、いかにも古墳くらいのものですしね。五馬媛さんの墳墓とされるのも、故なきことでもないでしょう。


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狭山田女:いやあ、謎めいた土地だね、五馬って所は。
大山田女:本当にそうですね。でも、謎めいた場所は、まだ他にもあるのですよ。次はそちらへ行ってみましょう。
狭山田女:えっ、まだあるんだ。行こう行こう。元宮神社への行き方は、左の地図を参照してね。



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