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其之八、春の戸隠 さらなる紅葉紀行 ト、矢本神社
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 平維茂紅葉征伐の折、その居場所を探るため、八幡大神に祈って矢を放った場所とされる。その矢が落ちた場所が先に紹介した矢先八幡である。この場所に八幡大神を祀って建てられたのが矢本神社だという。

矢本神社鳥居。ただし入口は社殿を挟んだ反対側にあり、境内を迂回する形で鳥居まで細い道がつけられているが、初めて訪れた場合は非常に分かりにくく、鳥居には境内を横切って至ることになるだろう。

矢本神社社殿。柵の里の方角に向かって立つ建つ。

社殿に掛けられている扁額。

手前が拝殿、奥が本殿。

社殿の向かって右に鎮座する磐座。神社の創建は紅葉征伐以後のこととなっているが、このような磐座が存在するのだから、もっとずっと古くから神聖な場所であったのだろう。

境内は結構広く、このような末社群も存在する。

鳥居のあたりからの景色。矢本神社は小高い見晴らしの良い場所に建ち、裾花川を挟んで対岸の荒倉山や柵の里を見渡すことができる。もちろんいかなる強力の持ち主であっても矢先八幡まで矢を放つことはできないであろうが、荒倉山のどこかにいる敵の位置を見定めて陣を敷くには格好の場所である。

景色の拡大写真。写真左下、斜め左上から右下に向かって裾花川が谷を形成している。その少し上、写真左端中央よりやや下に集落があるが、このあたりが十二社のあるあたりだと思われる。その右上、写真中央から右端向かって集落が雲のようにたなびいているが、これが柵の里だろう。矢先八幡や鬼の塚はこの集落の左端と左下の集落を結ぶ山中にあると思われる。集落の背後には、荒倉山がそびえ立っている。一際高い右端の山の山中あたりに、紅葉の岩屋があるのであろう。

矢本神社から荒倉山の南を望む。少し分かりにくいが、写真中央の山の切れ目の向こうに、雪をかぶった北アルプスの山並みを見ることが出来る。

ぐっと引いて景色全体を俯瞰するとこのような感じになる。写真中央よりやや上に荒倉山塊が連なり、その左端の山の切れ目に北アルプス。北アルプスの方角から右下に向かって裾花川が谷を刻んでいる。

鳥居の向かって右側にある砂地に囲まれた苔むした岩。維茂が弓を引いた際に踏ん張ったという「足跡石」が境内にあるらしいが、これがそれであろう。ここからなら矢先八幡まで遮蔽物は何もない。



矢本神社への案内
 矢本神社は旧戸隠村南東部、下祖山の矢坂というところにあり、これまで紹介した追通、渡土、柵橋などの下流に当たる。具体的には、国道四〇六号を長野市街から進んで来て、旧戸隠村に入り、戸隠橋を渡って二百メートルばかり進んだ古宮というバス停のあたりから、左側に分かれる道を進んでいった先にある。県別地図などにも記されているが、実はこの分かれた道をただ進むだけではたどり着けない。日頃から山中の小さな神社仏閣を訪ねるなどして感覚を磨いている人でなければ、通り過ぎて山奥に突き進む羽目になるだろう。
 それでも、頼りにならないのを承知で敢えて詳しい案内をしよう。古宮から道を進んでいくと、道は登りながら南西の方角に進む。すると人里があり、神社仏閣らしき建物があるがこれは矢本神社ではない。やがて小さな道が分岐するあたりで道は大きく向きを変えて東に向かう。東に向かって走り始めたとき、右上をよく注意して見ると神社らしき建物が見える。東に向きを変えて一、二百メートルばかり、辛うじてまだ人家があるあたりに右側に分かれ道がある。これを進んだ突き当りに矢本神社がある。上に書いたように車道の側には鳥居はなく、道は社殿の裏に当たるが、ここまで来れば迷うこともないだろう。道は神社に突き当たって左に折れ、その先は山へと続く砂利道になっている。砂利道に入る手前は道も広々としているので、駐車には問題ない。
 筆者は日中に訪れた際には一回でたどり着いた(実は以前深夜に訪れたことがあるが、全くもって不明であった)ので詳細に書きはしたが、不安であれば、家の戸を叩いてでも地元の人に聞こう。この場所は、これまでに紹介した紅葉の岩屋や、次頁で紹介する平出の夫婦栂と並んで、紅葉伝説伝承地の中でも最も場所の分かりにくいものの一つである。


大きな地図で見る
矢本神社の場所は左の地図の通り。



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