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紅葉紀行 特別編
─第四十六回 鬼女紅葉祭り(戸隠村)─



 平成十六年十月十七日(日)、戸隠村荒倉キャンプ場にて第四十六回「鬼女紅葉祭り」が開催されました。先々週の鬼無里村での祭典に続いて、私も参加して参りました。

 今回で四十六回目を数えるということもあって、鬼無里村に比べてこちらはかなり大規模な祭典です。会場はあまり駐車スペースがないので、麓に別途駐車場をこしらえて、会場前までマイクロバスでお客をピストン輸送していました。また、長野駅から臨時直行バスも出ています。
 私は時間ギリギリに着いてしまったので既に麓の駐車場の空きも残り少なくなっていました。辛うじて駐車して、会場へ。

 会場に近づくと、紅葉の岩屋へ向かう狭い道路の両脇は真紅の奉納旗で埋め尽くされていました。

 会場である荒倉キャンプ場に着くと、出店等多くのテントが設営されていて、大賑わい。日頃のキャンプ場からは想像もつかない情景です。ただ、今年は夏から引き続いて例年比べて気温が高いため、周辺のモミジは青々としていました。

 とりあえず、受付で祭りの次第が書かれた案内を貰います。ちなみに今回は参加費はいりません。祭りの次第は以下の通り。

九時半 大昌寺参拝

─紅葉稲荷社にて─
十時~ 鬼女紅葉供養祭神事
    獅子神楽奉納 清水連


─能舞台にて─
一 開会
二 実行委員長あいさつ
三 来賓あいさつ
四 供養祭

十一時~ 山崎閑祥会
     素謡 紅葉/嵐山/清経/羽衣/葵上/山姥/高砂

十二時~ 里神楽 宇和野原若連

十二時半~ 柏謳会
          仕舞 紅葉狩/鞍馬天狗
      素謡 紅葉狩

十三時~ ─休憩─ 鬼の岩屋見学出発

十三時十五分 河藤比古重社中
       舞踊 荒城の月/白雲の城/戸隠の雨/七久里紅葉狩

十三時三十五分 キューピー・オカザワ マジック

十四時十分 祥洲吟道会
      剣舞 易水送別
          合吟 紅葉狩
      仕舞 弘道館に梅花を賞す

十四時三十分 閉会

 見ての通り、この祭りの目玉は謡曲です。何といっても謡曲「紅葉狩」の舞台ですからねえ。能舞台も設置されていて、これを目当てに近隣の皆さん(主に長野市でしょう)が集まって来る訳です。ちなみに謡曲を行う方々は地元の方でなく、全国の謡曲の愛好者の皆さんが是非にと希望して来るとのことです。

 さて私は十時ギリギリに着いたため、既に大昌寺参拝は終了してしまっていました。大昌寺は鬼女紅葉の菩提寺なので、祭典のはじめに関係者一同参拝するといった感じでしょう。会場での祭典は神事から始まります。神道的に言えば神事こそ祭りの中心、というか祭りそのものですね。私も元神道人としては神事が最も気になるところ。何しろ我が奉ずる紅葉様を神として称え奉る唯一の祭典な訳ですから。

 神事はキャンプ場の少し手前、紅葉稲荷神社で行われます。関係者一同で賑わっております。手前の山車のようなものは神楽用の太鼓。

 私は十時を少し回って着いたので神事は既に始まっていました。まさにこれから祝詞奏上というところで、何とか大事なところには間に合ったという感じ。何だか地鎮祭に若干遅れてやってくる施主の親戚のような気分です……といってもその手の人にしか分からないでしょうけど(笑)
 祭典に奉仕する神職さんは紅葉祭りということで紅の狩衣を着ておられます。袴は無紋の紫……二級ということでしょうか。戸隠神社の神職さんが出張してらっしゃるのかと思いきや、地元の方とのこと。つまりこの紅葉稲荷神社の宮司さんということですね。おそらく麓の神社の宮司さんなのでしょう。多分他のお仕事と兼業でやってらっしゃるのでしょうね。ご苦労様です……と、またしても神社関係者にしか分からないような話ですが(苦笑)

鬼女紅葉供養祭神事(動画)


 神事も滞りなく行われ、最後に直会(なおらい:神事の際のお供えを参列者で頂く行事)。お供えのお神酒と、銘菓「紅葉狩」が参列者に配られました。そうこうしているうちにも、境内に青いブルーシートが広げられ、軽快なお囃子とともに獅子神楽が始められました。

 これがまた見事な獅子舞でして……特に獅子が頭を下げて臭いを嗅ぐような動作は、さながら本物の獅子、というよりも犬そのものという感じでした。

清水連による獅子神楽(動画)


 獅子神楽も終わり、お囃子太鼓を搭載の山車も運ばれて行きます。

 神事と獅子神楽が終わり、キャンプ場へ戻ります。まずは午後からの岩屋見学の申し込み。その同じテントの脇では、何と紅葉稲荷神社の御神符(お札)を頒布しているではありませんか!! おそらく年に一度のこの日にしか頒布しないこのお札、頂かない訳には参りません。ほかに御朱印も頂けまして、さらにッ!!
 金壱千円を奉納すると、このように奉納旗に自分の名を入れて奉納して頂けるのです。名を入れた奉納旗はすぐさま道路沿いに掲げられた真紅の奉納旗の列に加えられます。私ももちろん名を入れて奉納して頂きました。紅葉様を尊崇する者にとってこれ以上の栄誉はありません。これで私も公に紅葉稲荷神社の崇敬者となった訳です。
 ちなみに受付の方にお札、御朱印、奉納旗の全てを希望すると、あまりにも熱心なその崇敬振りに驚かれたのか、出身を尋ねられました。東京、と答えるとなお驚いたご様子。まあ二十代で(といっても筆者はよく三十代にに間違われますが)東京からこの祭りに参加し、さらにお札に御朱印、奉納旗となれば奇特なことではあるでしょうなあ(笑) 受付の方には「また来年もよろしくお願いします」と言われてしまいました。紅葉様を尊崇する者としては身に余る光栄です。

 その同じテントのさらに脇では、各種書籍も販売されていました。もちろん多くは紅葉伝説に関わるもの。他はその他の戸隠村の民話や伝説、自然に関する書籍です。普段なかなか手にすることのできないこれら貴重な書籍も、もちろん沢山購入させてもらいました。

 会場内には他にいくつものテントが張られ、様々な出店が軒を連ねています。多くは飲食物の出店で「紅葉おでん」「紅葉おやき」なども売られています。他はお土産用の野菜やそばなどの地元の特産物や銘菓など。写真のように野点の席も設けられています。

 こちらが祭りのメインイベント・謡曲が行われる能舞台。ちょうど最初の謡が始まるところです。既に大勢の観客が詰め掛けています。やはりお年寄りが多いのですが、今回は家族連れや若者、外国人などもいました。

山崎閑祥会による素謡・紅葉(動画)


 山崎閑祥会による素謡(囃子・舞なしで謡われる謡)・仕舞(囃子・装束なしで地謡だけで行われる略式の舞。囃子を付け、装束・能面を着けると本格的な能楽となる)が一通り行われた後、再び獅子舞が行われました。こちらは 宇和野原若連による里神楽です。

 里神楽が終わると、今度は柏謳会による謡曲。先にも書いたとおりこの祭りで行われる謡曲を行う方々は全国から応募があり、毎年違う団体によって上演されるようです。過去には能面を着けて舞う本格的な能や、「紅葉狩」の筋書きで行われるからくり舞台(何とこれは私の地元愛知県で伝承されているものだとか)が行われたことがあるそうです。また謡曲は始めから終わりまで上演するととても長くなってしまうためでしょうか、今回行われたものは全て一部、特に「紅葉狩」は最も盛り上がる最後の平維茂による紅葉退治の場面がほとんどでした。例年もおそらくそうなのでしょう。

柏謳会による仕舞・紅葉狩(動画)

柏謳会による素謡・紅葉狩(動画)


 謡曲の上演は昼前に終わり、休憩時間となりました。ここで腹ごしらえ。実は謡曲上演中もおでんやおやきなどを食べていたのですが、そばの出店も出ているということだったので、本格的に食事をすることに。何しろ戸隠はそばの本場、これを食べないという法はありません。
 そばは他の出店のようにテントではなく、キャンプ場の管理小屋のほうで出されていました。入口で券を購入し(一杯五百円だったと思います)、中へ。小屋の中は人でごった返していました。昼時ということもありますが、関係者の皆さんもここで昼食を取っているので混雑しています。ちなみにこのそばにはこの地方の特産である「えごま」(シソ科の植物で、種や葉を食用にします。種から取れる油は生活習慣の予防改善に効くとして近年注目されています。日本では縄文時代以来生産されてきました)がふんだんに使われていて、とてもよい香りがします。このあたりのそばは非常に良質であり、加えて新そばの時期でもあるので、そば自体の香りもかなりのものですが、それと相まって口の中でさらなるハーモニーを奏でてくれます。なんだか商品のコピーみたいな文章になってしまいましたが本当にうまいのです。

 そばを食べ終わってあたりで、ちょうど午後一時前になりました。岩屋見学ツアーの受付をしてあった人の名前が呼ばれます。私も名前を呼ばれましたので、集合場所である会場入口に向かいました。
 集合場所に行ってみると、既に何人か集まっていました。若者はといえば自分と30歳前後ぐらいの夫婦らしきカップルぐらいで、あとはほとんどがおばさん、他若干のおじさん、おじいさん、おばあさん。ただ人数は結構多く十五人ぐらいにはなりました。やがてガイドの方がやって来ました。元気そうなおじいさんで、60歳くらいかなと思ったら何と御年八十歳! いつもは違う人がガイドをしているが今回初めてガイドをやらせてもらうことになった、とのことでした。また、神事にも参列していた、環境省地元事務所の若いレンジャーの方もいました。
 さて、キャンプ場から岩屋の登り口までは細いながらも車道が通じていて、本来であればそこまでは車で行くのですが、過日の台風の為に土砂崩れが起き通行止めになっており、キャンプ場から直接徒歩で行くことになりました。そうして歩くことになったわけですが、ガイドさんが来るか来ないかのうちに、おばちゃん達数人が早くも歩き出してしまい、それにつられて他の人たちもぞろぞろと歩き出して、のっけから統制のとれていない状態に(そんなものを求められている訳ではないですが)。
 こうして何だかよく分からないうちに始まってしまったツアーですが、ガイドさんはさすが地元で八十年も暮らしているだけあって、地元のことを知り尽くしています。昔使用されていた道とか、かつての植生とか。特に、今は木々の生い茂る荒倉山も、かつては山を持たない人たちの共同の薪採取地となっていたため、高木はほとんどなく、遠くまで容易に見渡すことが出来たという話は印象的でした。しかも、木を伐採しなくなったため、山が荒れてかえって自然環境が悪化したとか(具体的な話は忘れましたが)。今は自然保護の見地から伐採は容易ではないとのことですが、自然保護というのも通り一遍では駄目だということですね。

岩屋見学ツアーの様子。道々ガイドの方の案内を受けつつ、のんびりと山を登っていきます。途中、おばちゃん達は早く歩き過ぎ、一方ご老人方が遅れを取ったため、一度休憩し、とりあえずおばちゃん達を先に行かせて、若者(といっても環境省のレンジャーさんと私のみ)を歩くことになったりする場面もありましたが、ともかく岩屋に到着。
 この岩屋、今は岩穴に直接入ることが出来ますが、かつては木柵が張り巡らされて進入できなかったとか。それが岩屋の全部が崩れて木柵を破壊してしてしまって今のような状況になっているとのこと。確かに今でもいつ崩れてきてもおかしくない様子ではあります。また岩屋右側の「前庭」の紅葉狩記念木柱は、ここへ謡曲愛好者がやってきて、謡をして記念に建てていくという事で、今後も増えていくものだそうです。ここは謡曲愛好者達の聖地であるようですね。
 さて、岩屋での解説が一通り終わると、後は解散ということになり各々自由に帰路に着く、ということになりました。私は岩屋でのんびりして、かなり最後の方になったのですが、やがて残った中年~初老の男性お二方が、おもむろに紅葉狩の謡をはじめました。どうやらこの方々も謡曲愛好者の方のようです。ひょっとしたら先程舞台に出てらした方々かもしれませんね。いずれにしても紅葉の岩屋で紅葉狩の謡を聞くというのは謡曲愛好者でもなければなかなか体験できないこと。紅葉様を奉ずる身としては身に余る幸というものです。

紅葉の岩屋で謡われた素謡・紅葉狩(動画)

 謡が終わったところで帰路に着くと、最後の方に出発したガイドとレンジャーの方に追いつきました。帰路では話の展開が祭りの内部事情の方向へ……いえ、別にそんな後ろめたいものではないのですが、かつて意気込んで結成された「鬼女紅葉を偲ぶ会」(祭りの主催)も、高齢者が多くなってきてモチベーションが下降気味というようなお話でした。来年からは戸隠村も長野市に合併されて自治体の補助が出るかどうか分からないので予算の都合もつくかどうかとか……。まあ祭りの目玉である謡曲自体は愛好者の方々の方から自主的に参加を申し出て来ている訳ですし、見物人のほうも長野駅からの臨時急行バスが出るほどの数はいる訳ですから(かつては急行バスも2台来ていたそうですが)、対外的な需要は問題ないのですけどねえ。運営自体をもっとオープンにして、上演を申し出る愛好者の方々にもしてもらなりすればいいとは思うのですが、なかなか簡単ではないでしょうね。もっと東京で宣伝して遠方の集客を期待するとか、午後からはじめて薪能を催すとか。予算等の問題がありますけどね。何とも複雑な問題を抱えているようです。何とか紅葉伝説伝承の灯を灯し続けてもらいたいですね。
 また、戸隠村の方では、こと紅葉伝説に関しては隣の鬼無里村に対抗意識を燃やしているようです。私は聞きそびれてしまいましたが、開会の挨拶で村長さんが戸隠こそが紅葉伝説の本家である、という趣旨の話をしたそうですし、ガイドの方からもそういったお話がありました。ガイドの方によれば、鬼無里は宣伝が上手いから、鬼女紅葉の里として世間に認知されているけれども……ということでした。
 が、しかし。先の鬼無里の祭りを知っている人間としては、ちょっと首を傾げたくなります。素朴で手作り感あふれる楽しい祭りではありましたが、部外者はほとんど皆無でしたし、見物を楽しませるという意味では、回数も重ねていることもあって、どう考えても戸隠の祭りのほうが洗練されています。祭りの世間での認知度も戸隠のほうが高いでしょう。祭り用の臨時バスが出ているところからしてもそう言えます。また、紅葉伝説の地、ということでも世間では戸隠のほうがはるかに名高いでしょう。日本の伝説を集めた本などにも「戸隠山の鬼女紅葉」ということで扱われていますし、収録されている話は大抵が謡曲の「紅葉狩」です。私自身、以前より知っていたのは戸隠の鬼女紅葉であり、謡曲の話でした。隣の鬼無里に別伝承がある、というのは、戸隠の話に興味を持った人が調べていくうちに行き当たる、というものでしょう。
 ただし、紅葉伝説に対する積極性、ということでは鬼無里村の方が高いように思えます。それが結果的に「宣伝が上手い」と映るのでしょうが、その理由の一つに両村の観光資源の差があるのではないかと思いますね。全国で「戸隠」という地名と「鬼無里」という地名の認知度は比べるべくもない程の差があります。「戸隠そば」のブランドは全国に聞こえていますし、天岩戸神話や修験の地ということでもそれなりに認知度があります。戸隠神社や戸隠連峰などの見所も多いですし、冬のスキーも有名でしょう。長野県の観光ガイドでも戸隠が載っていないということは有り得ません。一方の鬼無里村はといえば、有名なものは奥裾花自然園の水芭蕉とおやきぐらいで、それも全国的名知名度を誇るものではありません。観光ガイドに鬼無里の文字がないこともままあります。つまり、戸隠は紅葉伝説以上に知名度の高いものが沢山あり、少なくとも対外的には戸隠における紅葉伝説というのはマイナーなものであることは否めません。ところがもともと知名度を誇るものが少ない鬼無里では、相対的にメジャーなものとなります。端的に言ってしまえば他に売り出すものがないから紅葉伝説で売っている、と言える訳です。これは当然の成り行きですね。
 さらに言えば、伝承内容の違いが積極性の違いとして現れてくる、ということがあります。戸隠でも岩屋の麓にあたる柵(しがらみ、現在の大字栃原一帯)では、文化を伝えた恩人という扱いになっていますが、悪事を働いたという面も意識されていて、必ずしも自慢できる存在ではなく、ともすれば後ろ暗いこともなくはない、という気持ちが込められています。これが同じ戸隠でも観光の中心たる戸隠神社周辺となると、悪女として受け止める傾向がすっと強くなるようです。しかし、鬼無里では恩人であることに加えて悲劇のヒロインの感が強く、崇拝に近い敬意さえ持たれています。極端に言えば戸隠では「悪魔」(当神宮的言えば「邪神」)、鬼無里では「神」。これでは伝承に対する積極性が自ずから異なってくるというものです。
 もう一つ、地理的要因もあるでしょう。戸隠で紅葉伝承の中心地となる柵は、内部的にはともかく対外的には明らかに辺境です。外部の人間がたどり着くには道も複雑で苦労します。紅葉の岩屋に至っては辺境を通り越して秘境というべき山奥。運転初心者では生きた心地がしないくらいの悪路を走行しなければなりません。一方、鬼無里にある紅葉の菩提寺松巖寺は村の中心地に程近い場所。伝承の中心地である内裏屋敷も、中心地から隔たっているとはいえほとんど迷うことなくたどり着けますし、道もよく整備されています。観光という観点からすればこれは大きな差です。
 また、戸隠の祭りは四十六回を数えて洗練され知名度がある一方で、特に主催者側でマンネリ化の傾向があることも否めないでしょう。鬼無里の祭りは正直世間一般の観光に堪えるものではありませんが、まだ五回目であり主催者側の心情としてもこれからの発展に期待する盛り上がりがあるはずです。
 こういった事情から、戸隠と鬼無里でとでは紅葉伝承にかける意気込みの差というものが出てくるのでしょう。しかし、自ら隣村と比較する気持ちがあるなら、まだまだモチベーションは十分にあるということですから、互いに切磋琢磨して盛り上げていってもらいたいですね。両村とも来年には長野市に合併される訳ですが、その中でも郷土の独自色は大切に守っていってもらいたいところです。今後の日本のためにも。まあ長野市になるのを期に祭りを共同開催するなんてのもいいんじゃないかとも思いますが。

 話が脱線してしまいましたが、そんなことを思いつつ会場に帰ってくると、既に午後三時近くなっており、既に祭りは閉会し後片付けに入っていました。ツアー参加のため午後のプログラムは見ることが出来ませんでしたが、内容は興味深いものがあります。特に日本舞踊の河藤比古重社中は鬼無里の祭りにも来ていただけに気になりました。午後の内容は、次回参加の際の楽しみとしておくことにしましょう。最後には、またマイクロバスで駐車場まで送ってもらいました。最後だったので私一人だけでした。駐車場までは何気に歩ける距離なんですけどね(^^;

 会場で購入した書籍の数々。日頃は入手の難しい貴重なもので、しかも内容も非常に充実しています。祭りに参加したら必ず買うべし!

 左から紅葉稲荷神社の御朱印、お札、御朱印やお札拝領・奉納旗奉納時に頂けるお供え、神事後に撤下される神饌。神饌は「紅葉狩」なるお菓子で、会場で箱単位でも販売されています。これがなかなか美味で、職場に土産物として持参したら思いのほか好評でした。


大きな地図で見る
鬼女紅葉祭りが行われる、紅葉稲荷社と荒倉キャンプ場(毒の平)の場所はこちら。また、第四十七回旧戸隠村鬼女紅葉祭りの様子はこちら、第五十八回旧戸隠村鬼女紅葉祭りの様子はこちら、第六十回旧戸隠村鬼女紅葉祭りの様子はこちら



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