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紅葉紀行 特別編
─鬼無里へのいざない─



 平成二十四年十一月十八日、長野市鬼無里の、鬼女紅葉の菩提寺として名高い松巖寺にて、「鬼無里へのいざない」というイベントが催されました。このイベントの存在を知ったのは、約一ヶ月前、同じ松巖寺で行われた第十三回「鬼女もみじ祭り」で、住職より直接案内チラシを頂いたからでした。

 チラシはこのようなものでした(クリックで写真拡大。その他の操作はこちらを参照)。チラシを拡大すれば分かりますが、イベントは住職講話、謡曲仕舞、パネルディスカッション、という三つで構成されています。参加者を見ると、能楽師の方もいらっしゃる模様。謡曲「紅葉狩」の仕舞は、戸隠の「鬼女紅葉祭り」では何度か観たことがありますが、近年は戸隠の方の祭りには行っていませんし、鬼無里では観た事がありません。折角の機会なので、鬼無里でも仕舞を観てみよう……ということで、一ヶ月をおかずして、鬼無里へ再び赴いたのでした。
 そして今回は、今まで色々な場所へ旅行し、一緒に何度か戸隠や鬼無里に来たこともある、MDさんと同行。鬼無里で何か行事ごとがあるときは、なぜか必ず一人だけ同行者がいるのです。いつもさんざん一人旅をしているのに……全く不思議なことです。

 ということで、やって来ましたおなじみ松巖寺。上のパンフレットにもあるように、今回は午後一時からの開催です。
 そんなに広く告知されたイベントでもないようですし、村をあげてのお祭りという訳でもありませんので、観客は十人程度というところでしたでしょうか。それも概ねは長野市かその近郊の方々だったと思います。それでも、我々二人のほか、もう一人だけ、首都圏からおいでの方がおられました。しかも若い女性の方。我々二人も三十代半ばと世間的には若いとは最早言えない年齢なのですが、参加者の中では最も若い部類であったでしょう。おそらく、四十前の参加者は、この女性の方と我々二人の、首都圏からの三人の参加者だけだったのではないかと思われます。

 最初に住職から若干の説明がありましたが、その後準備に色々と時間が掛かったのか、予定より約二十分遅れて、仕舞が始められました。謡曲「紅葉狩」から、ほんの一部分を取り上げて演じられただけでしたが、能楽師の依田先生よりご説明を頂いたので、漫然と仕舞を見ているのよりも、大分理解が深まりました。仕舞が終わったところで、一時休憩に。
 なお、今回は、オープンなお祭りとは違いますので、写真や動画の掲載は控えさせて頂きます。

 そんな中でほんの少しだけ写真を……。こちらは依田先生が持っていらっしゃった能面と鼓です(折角なので細部が見れるよう、こちらも写真クリックで拡大できるようにしました)。博物館等に展示されている古い能面ならともかく、現役の能面をこして間近で見るのは、思えば初めてのことかもしれません。鼓についても、高校時代和太鼓部だったので、太鼓なら何度となく叩いているのですが、鼓をこうしてまじまじと見るのは初めてのことでした。

 そして何と!実際に能面を着けることも出来ました!これはちょっと感動モノでした。着けてみて初めて分かりましたが、能面というのは、覗き穴がかなり小さくて、相当に視野が限られています。なので、自分の現在位置を知る上で、舞台の四方の柱が非常に重要との事でした。

 しかも、薪能ともなると、暗くもなるのでより一層視野が狭まるのだとか。そして、大変意外だったのは、縁者が能舞台から落ちてしまうことも結構多い、というお話でした。というのも、能面を着けると、自分の足元は全然視野に入らなくなってしまい、舞台の端など目に入らないからなのです。しかし、その分落ちるという予感や恐怖が全くなく、歩いたまま姿勢を崩さずストンと垂直に落ちるので、怪我をすることはないそうです。何とも奥深い話です。さすが「幽玄」を真髄とする芸能だけのことはあります。
 「幽玄」といえば、当然ではありますが、実際に能面を着けてみると、視野が狭い分、演技に集中しやすいかもしれない、とも思いました。視野を限り、演技に集中すれば、自ずと役そのものになり切って行くでしょう。それは一種シャーマン的な、トランス状態とも言えるものかもしれません。「鬼女紅葉」はまず間違いなくシャーマンであったであろう存在ですが、そんなことを思うとまた感慨深いものがあります。
 鼓も実際に叩いてみることが出来ました。これが持ち方もなかなか難しく、簡単には音も出ません(苦笑)。ただ、持つときには緒を絞るように握り、その調整によって皮に緩慢が生まれ、音色を変えることが出来る、というのは何となく体感できました。
 謡曲や能を見る機会というのはその気になればそれなりにあるものですが、このように実際に能面を着けたり、鼓を叩いたりというのは、習いにでも行かないとなかなか体験できるものではないでしょう。これは非常に貴重な体験でした。

 そうこうしているうちに休憩も終わり、パネルディスカッションの時間となりました。まず、五人のパネラーの方が、順番に鬼無里について思うところを、自由に述べられました。その中で、能楽師の依田先生は、何よりも鬼無里で一度能の上演を行いたいとおっしゃってました。確かに、私もそうなのですが、鬼女紅葉伝説に惹かれて何度もこの地を訪れる人ならば、皆思うことでしょう。しかし、能の上演というのは、かなり費用が掛かるものだそうです。なるほど、観能料というものは高額で、数千円、場合によっては一万円以上掛かるもので、私もほとんどまともに観た事がないのですが(仕舞だけなら上述のように何度かありますが)、そもそもコストが掛かるというのは、あまり考えたことがありませんでした。かつての職業柄も関係してか、神楽ならあちこちで何度も見ているのですが、基本的に無料で上演されることの多い神楽や謡曲の仕舞のみとは、全然違ったコストが掛かるのでしょう。ただ、安く上演する方法もあるそうです。恐らく、舞台の構造とか、演者の数とか、話の長さとか、何がしかを省略するのでしょう。いきなり完璧を目指しても始まらないし、またそうする意味も不確かなので、まずは可能な範囲で、是非鬼無里でも能「紅葉狩」を上演してもらいたいものです。

 また、鬼無里で「小水力発電」に取り組んでおられる久保田さんのお話もあり、説明の紙も配布されました(こちらも写真クリックで拡大できます)。小水力発電は、マイクロ水力発電ともいい、その名の通り小規模な水力発電で、次世代のエネルギーとして注目されているようです。日本は峻険な地形で急流が多いので、適地と言えるでしょう。「谷の都」と称される鬼無里であれば尚更。ただ小水力発電は百年以上の歴史があり、技術的な問題は少ないものの、法規制が普及を妨げているようです(詳細はWikipedia「マイクロ水力発電」参照)多いようです。また、これは久保田さん自身がおっしゃっておられましたが、落ち葉などのゴミが詰まりやすく、メンテナンスが大変なのと、それも含めて採算性が低いのも問題のようです。
 東日本大震災以降、次世代エネルギーは真剣に討議される重要な問題となっていますが、法規制の問題はともかくとして、採算性の問題が解消されれば、農村や高齢者の経済基盤確保の一助にもなり得るし、なかなか面白いとは思うのですが。

 パネラーの方々のお話が終わり、一般参加者からも自由に鬼無里への意見が出されました。上述の若い女性の方の発言もありまして、非常に安価な高速バス(確か片道二千円台とか)で来る方法もあるとおっしゃってました。また、この方も、やはり鬼女紅葉伝説に惹かれて鬼無里へ来られたようです。

 最後の最後近くですが、私の方からも意見を言わせて頂きました。私の意見は大体次のようなものです。

 私は旅と伝説が好きで、日本中、神話や伝説を求めて旅して来ました。そんな中、鬼無里にはもう十回以上、もしかしたら二十回は来ているかもしれません。伝説という点では鬼無里はそれくらい魅力的なのです。
 また、皆さんの想像以上に、若い人は伝説というものに興味があります。漫画やアニメ、ゲーム、ロックといった若者向け文化で、日本の伝説もテーマとして取り上げられるからです。鬼無里も例外ではありません。鬼女紅葉伝説をテーマにした作品もあり、関心のある若者も結構います。
 実は、私は日本の伝説伝承地を巡って紹介するWEBサイトを持っており、開設してから十年近くになります。そこで一番大きく扱っているのが、紅葉伝説です。私はもう三十代も半ばで若いとも言えませんが(苦笑)、サイトを開設した頃は確かに若者で、開設以来、年に数件、自分と同世代、あるいはより若い方からも、問い合わせがあります。それをもってしても、紅葉伝説に興味ある若者が少なくないと言えるでしょう。
 その質問の多くは、伝説伝承地への行き方が分からないか、あるいは、行き方が分からなくてネットで調べた結果、私のサイトにたどり着いた、といったものです。確かに、戸隠の紅葉の岩屋など典型ですが、伝承地には行き方が分からないところが多い。鬼無里の内裏屋敷などはかなり容易な方ですが、それでもネット上の情報は少なく、現地に着いても分かりにくい。ようやっとたどり着いても、看板もないとか、あっても分かりにくいということも少なくない。
 つまり、こういった若者の需要があっても、その受け皿がない、というのが問題で、ここを上手く結び付けることが出来れば、鬼無里の観光はもっと活性化するでしょう。それは、行き方や現地での案内だけではありません。例えば、紅葉にちなんだお土産なんかでも、もう少しあったら、伝説を求めて訪れた人も、満足が得られるでしょう。満足が得られれば、またやって来るかもしれないし、知り合いにも良かったと言えば、その知り合いがやって来るかもしれない。インターネットが普及した今の時代にあっては、このことは非常に重要です。
 一方で、そういう伝説が、先に挙げたような若者向けのジャンルに取り上げられ、突然若者が押し寄せるという事例が、実際にあります。もしかしたら、鬼無里にもそういうことが起こるかもしれない。そのとき、あまりやり過ぎてしまうと、一過性で俗っぽいものに堕してしまう可能性もあります。既に述べた方がおられましたが、鬼無里の良さというのは、中央や大資本の観光開発の手垢がついておらず、素朴なところにあるのも事実です。もしそういうブームがやって来たときに、流され過ぎてしまうと、ブームの後に荒廃してしまう可能性もあるので、その点は注意してもらいたいと思います。
 逆に、そういうことがあってもおかしくない伝説を、鬼無里は持っています。素朴さを生かしつつ、その伝説を求める需要に応えられれば、長期的な活路が見出せるものと思います。


 実際に話して、二週間くらい経ってから書いていますので、うろ覚えのところもなくはないのですが、大体こんなところだったと思います。個人的には、お土産のところには本当に力を入れてもらいたいなあと。あんまりアニメチックじゃない、紅葉のミニフィギュアとか。浜田の石見神楽フィギュアとか参考になると思うのですが。コストの問題もあるので難しいこともあるでしょうが、例えば和紙とか折り紙とか布の紅葉人形とかだったら、外部の企業に依頼することもなく、村内の高齢者の方等に作って頂けるんじゃないかと思うんですが。俗っぽくもならないですし。こういうものは切に願いたい……どこにも紅葉の人形がないからこそ、私は自ら作ったのですから(苦笑) まあ、それこそが、邪神大神宮の原点の一つなんですが。

 部外者が好き勝手な事を述べて、大変僭越だったと思うのですが、喜んで下さった方もいらっしゃいました。パネラーのお一人である、鬼無里観光振興会会長の伊藤さんにもご挨拶頂きまして……実はこの方、鬼無里のおやきのお店「いろは堂」の社長さんでした。信州に数多くあるおやきの中でも、ここ「いろは堂」さんのおやきは絶品。特に鬼無里特産のあざみのおやきが、個人的には気に入っています。

 そんなこんなでディスカッションも終わり、イベント終了となりました。正直に言うと、同行したMDさんが言っていたように、まとまりがなく、何がしたいのか分からないのは事実でした。しかし「それ自体」を模索したイベントであったなら、恐らくは主催者や地元の方が想定していなかったような意見も出て、良かったのではないかと思います。思えば、観光客と地元の方が、直接に意見を交わすというイベントは、かなり斬新な気がします。折角のそういう機会なのですから、予定調和的な、玉虫色の話で終わるよりも、後でそれぞれが意味を考えたくなるものの方が、意義があるものと思います。

 それにしても、本当に好き勝手言ったのに、怒るどころか、むしろ歓迎して頂いた感さえある、主催者やパネラーの皆様には、改めてお詫びとお礼を申し上げたいと思います。このページでも、また好き勝手書いてますし。
 このイベントで、とうとう鬼無里の方にこのサイトの存在を知らせてしまったので、もしかしたらこちらをご覧の地元の方もいらっしゃるかもしれませんが……見ての通りの、変態的サイトですが(苦笑)、確かに、紅葉伝説と鬼無里のフリークであることはお分かり頂けたのではないでしょうか。これからもまた鬼無里にお邪魔致しますが、ご容赦の程を。その分、微力ながら鬼無里の良さを、今後ともPRし続けていきたいと思います。

 ちなみに、このイベントの後、また内裏屋敷へと赴きました。もしかしたら丁度ここの紅葉が赤く色付いているかと思ったのですが……少し遅かったようです。ただ、「内裏屋敷跡」の看板が新しく建てられているのが分かりました。

 「月夜の陵」の入口の看板も、ご覧通り新調されました。

 内裏屋敷の供養塔も、二年前に木柱から石碑に変えられましたし、少しずつですが、伝説を求めて訪ねた人の「受け皿」が整えられています。今後も楽しみにしております。


大きな地図で見る
今回イベントが行われた、「松巖寺」の場所はこちらの地図の通り。このイベントの一ヶ月前に行われた第十三回 鬼女もみじ祭り(鬼無里)の様子はこちら。松巖寺についてはこちらこちら



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