邪神大神宮 道先案内(ナビゲーション)
鳥居(TOP)斎庭(総合メニュー)万邪神殿紅葉宮>紅葉伝説考五



紅葉伝説考
五、紅葉が祈りし神々

 ・第六天魔王の正体
 ・ミシャグチ神とは
 ・紅葉はミシャグチ神の巫女か?
 ・「夷の神」を以って夷を制す
 ・諏訪の神への戦勝祈願の意味
 ・諏訪の神と鉄の関係
 ・紅葉と製鉄
紅葉伝説考四へ
紅葉伝説考六へ
紅葉御由緒へ戻る
呉葉門へ戻る



第六天魔王の正体
 ここで、振り返って、紅葉の守護神、第六天魔王についてもう少し言及したい。第六天魔王とは仏教における強大な魔王であり、起源はヒンドゥー教のシヴァ神であることは既に述べた。そしてたとえ魔王のような存在であっても、その力ゆえに信仰された経緯があることも。だが、この第六天魔王についてはそれだけでは終わらないような側面がある。
 実は、この第六天魔王は意外に多くの場所で祀られている。「第六天さま」と呼ばれる神社が各地にあって、祭神は面足尊(おもだるのみこと)・惶根尊(かしこねのみこと)とされている。この両神は日本神話における天地創造の神で、イザナギ・イザナミ両神の一代前に当たるのだが、最初の神から数えて六番目にあたる天の神である。それゆえに第六天と習合された。つまり後世の付会による。神仏習合が広まった中世と、神仏分離が行われた明治期になされたものであろう。そうした祭神が当てられる前から、確実に第六天信仰は存在した。その分布は、主に中部と関東である。そして奇妙なことに、仏教中の存在である第六天の信仰は、寺院とは関係が薄いところで成立しているようなのである。神社が建てられている場合もあるが、道祖神のような石碑として信仰されている場合もかなり多い。その起源を求めると── どうも、信州、長野県に行き当たるようなのだ。
 信州は第六天信仰が最も集中している場所であり、特に諏訪地方では各集落ごとに第六天を祀る碑がある。中には、第六天を「御社宮司(ミシャグチ)」と規定しているものもあるのである。このミシャグチ神とは何者か。
 諏訪には、信濃国一の宮・諏訪大社がある。一の宮というのはその国で最も篤く信仰されている神社だが、諏訪大社の信濃における信仰の篤さは、他国の比ではない。今も死人が出ることもある御柱祭の例を見るまでもなく、今なお熱烈に信仰されている神社で、長野県内をはじめ全国に数多くの分社がある。その諏訪大社の祭神を、建御名方神(タケミナカタノカミ)という。国津神の王、出雲大社の祭神大国主命の子で、天津神の国譲り要求に最も烈しく抵抗し、出雲から諏訪に逃れ、決して諏訪から出ないことを約束して、辛うじて命を救われたと記紀神話にはある。諏訪湖の神でもあって、龍神とも言われ、荒ぶる神として他の神から恐れられたという伝承もあるが、一方で威力ある神として朝廷に重んじられてもいる。その諏訪大社の祭神について、当の諏訪では記紀神話とは異なる伝承がある。

ミシャグチ神とは
 はるか太古、諏訪には洩矢神(モレヤノカミ)という土着神がいた。そこに外部から建御名方神が侵入してくる。洩矢神は鉄の輪、建御名方神は藤のつるをもって戦ったが、洩矢神は敗北した。そうして洩矢神は子々孫々建御名方神を祀ることになり、その体制は明治まで続くのだが、その洩矢神の子孫・守矢家が祀っていたのがミシャグチ神なのである。ミシャグチ神は自然万物の精霊で、諏訪大社の祭祀は実際にはミシャグチ神の祭祀を中心としているし、地元諏訪でも信仰されている。またミシャグチ神には様々な別称があり、シャグジンなどとも呼ばれて、「石神」の字が当てられることもあるように、石の神でもある。その祭儀は動物を生贄に捧げるなど極めて狩猟民的な色合いも濃く、仏教流布後の殺生禁止の価値観の中で猟師に殺生を許す「鹿食免(かじきめん)」という免状を発行していたのも諏訪大社なのである。
 そうしたことからミシャグチ神の信仰は、縄文時代にまで遡るという。縄文時代は狩猟文化であり、自然信仰であって、石棒などに見られるように石を敬う文化であった。またミシャグチ神は蛇体とも言われるが、縄文土器に蛇の文様をあしらったものが非常に多いように、蛇信仰という面でも共通するようである。特に縄文時代の信州は縄文文化が最も発達した地方の一つで、蛇文様の土器の出土は極めて多く、黒曜石の産地でもある。守矢家のある長野県茅野市の、八ヶ岳の麓には国宝・縄文のビーナスを出土した尖石遺跡があり、その尖石という名の由来となった縄文人が石を砥いだ石は、「尖石さま」と呼ばれて後世まで信仰の対象であった。同じく八ヶ岳の麓・長野県佐久町には日本最大の縄文時代の石棒も残る。そしてミシャグチ神の信仰は、諏訪を中心に中部から関東まで分布している。これは、同じ様式の縄文土器が出土する範囲なのである。即ち、縄文時代中期の文化興隆地域である。この地域には、太古から石を依代とする精霊ミシャグチ神を祀る文化があり、後世までその信仰が続いたのだ。
 このミシャグチ神の信仰分布は第六天の信仰分布がほぼ重なっており、ミシャグチ神の故郷・諏訪では同一の存在だとも述べられている。先に述べたように、第六天は道祖神のように石に祀られていることもあるが、ミシャグチ神もまた石に祀られる。信州に見られる独特の信仰道祖神も、ルーツはミシャグチ神にあるともいわれるが、第六天の信仰もまた、ミシャグチ神にあるのであろう。

紅葉はミシャグチ神の巫女か?
 さて、話を紅葉に戻すが、紅葉伝説の主要な舞台である戸隠は紛れもない信州である。当然ながら諏訪信仰の圏内であり、紅葉が村人に慕われたという鬼無里の最も有力な神社には諏訪の神が祀られている、それは龍神として語られ、しかも鬼無里の発祥とも深く関わるような重要な存在である。そして、紅葉伝説と関わりのある神社であり、坂上田村麻呂との関わりさえあるのである。紅葉と諏訪の神とは、無関係ではないのだ。そして、紅葉の守護神第六天は、諏訪の土着の神、ミシャグチ神にルーツをもつ。即ち── 紅葉の守護神とは、ミシャグチ神なのではあるまいか。
 ミシャグチ神は、縄文時代に遡る起源を持つ神であり、その後も狩猟文化と深く関わっている。狩猟免状を通じて、はっきり狩猟民とも関わっている。狩猟民とは、山の民だ。山の民がミシャグチ神を信奉していた可能性も大いにある。でなければ、狩猟免状が意味を成さないだろう。受け取る方も、諏訪大社に権威を認めていたのだ。そして山の民は狩猟を軸とした縄文の生活様式を続けた人々であり、縄文時代に起源を持つミシャグチ神を信奉していたとしても何ら不思議はないのである。
 先に、紅葉が太古の信仰を伝える女性シャーマンであり、山の民の系譜に入るものだと繰り返し述べてきた。その山の民は、太古の信仰であるミシャグチ神を信奉していた可能性が大いにある。また紅葉の守護神第六天は、起源をミシャグチ神に持つ。そして戸隠の紅葉や大姥山の紅葉鬼人が籠った岩屋は、巨石信仰に結びついている。ミシャグチ神は、石に降りてくる精霊だ。これらのことから── 紅葉とは、ミシャグチ神の巫女だったのではないかとも思われるのである。

「夷の神」を以って夷を制す
 紅葉と諏訪の神が直接関わるのは、鬼無里で諏訪の神を祀る鬼無里神社なのだが、それは奇妙な関わり方である。平維茂が、紅葉退治の戦勝を祈願したのが、鬼無里神社なのである。紅葉がミシャグチ神の巫女であり、それを守護神とするなら、平維茂は紅葉の守護神に戦勝を祈願したことになる。これはどういうことだろうか。
 この神社は、それ以前に坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際戦勝を祈願したともされる。そして、本家である諏訪大社も、田村麻呂が蝦夷征伐の祈願をしたという。諏訪大社を代表する祭・御柱祭も田村麻呂の戦勝を祝って始められたという伝承もある(御柱祭は非常に原初的な信仰を伝えるもので、起源は縄文に遡るものといわれる)。
 諏訪大社は、田村麻呂のはるか以前から朝廷の尊崇を受けているし、神話上でも荒ぶる武神であるのだから、勅命を受けた武人達が諏訪の神に戦勝祈願することはおかしなことではない。ただ、そこにはただの武神以上の意味合いがある。それは諏訪の神がもとより荒ぶる国津神であることが関係している。
 皇朝は、その発祥から平安時代に至るまで、数多くの民族・部族間闘争を戦い抜いてきた。そして勝利した後、敗北した民の首領や武人、あるいはその民の崇めた神を、祟ることのないよう、またその民を鎮撫するため、神としてその土地に祀った。その際、その首領や武人、神の名をそのまま用いることもあったが、多くは出雲系の神を祭神とした。出雲系の神とは国津神であり、端的に言えば皇朝への反逆者である。もっと言ってしまえば、大いなる魔だ。その大いなる魔でもって、別の魔を霊的に封じようというものである。「夷を以って夷を制す」ということの霊的展開だ。もちろん、その反逆者たちが本当に出雲系の流れを組んでいたということも少なからずあるだろうが。あるいは、再蜂起を防ぐため、その反逆者や彼らが崇めた神の名を後世に残したくないという意図もあったろう。出雲系の神ならば、既に皇朝の神話体系に組み込まれてたものであるから、それが後世に名を残す分には支障がない。降伏した反逆者達も、勝利者側の神を押し付けられるよりは、まだ納得がいく。それこそ反逆者達が出雲系の流れを組んでいれば、尚更だろう。
 かくしてこの方法は好んで皇朝に用いられた。やがて時代が下ると、あらかじめ出雲系の神に反逆者の鎮圧を祈願するということも行われた。「夷を以って夷を制す」ためである。夷の神が夷に味方することのないよう、鎮まってもらい、願わくば自分の味方をして夷を鎮めてくれるよう、祈願するのだ。

諏訪の神への戦勝祈願の意味
 諏訪の神への戦勝祈願というのは、こうした意味合いが強いものだと思われる。しかも、諏訪の位置は皇朝から見れば夷の国の入り口に当たるのである。そして、諏訪の神は太古の東日本縄文文化圏の信仰の中心でもある。皇朝に取り込まれた夷の神とも言えるだろう。夷の側にとってもただの皇朝側の神ではない、自分達の崇める神そのものである場合もある。あるいは、諏訪の働きかけ次第では反逆者達も戦わずして降伏するかもしれない。逆に、諏訪が反逆者と手を組んでもらっては困る。皇朝が諏訪の神を重んじ、征夷の戦勝祈願をしたというのは、単なる精神的な意味合いだけでなく、そうした政治的な意味合いもあったと思われる。
 こうしたことを考えるなら、平維茂が紅葉退治の祈願を諏訪の神にしたとしても少しも不思議ではない。そもそも鬼無里神社は土地の神であって、そこで戦をするのに土地の神に祈願するのはある意味当然ともいえるだろう。その神を戦う相手も拝んでいたとしても。また、鬼無里神社が戦勝祈願の場所ではなくて、紅葉退治後、紅葉の拝んでいた神を祀ることによって祟りを防ぎ封印したというのが実際だったかも知れない。紅葉を慕った人々を納得させるにも良い方法であるだろう。何しろ紅葉を慕った鬼無里のことなのであるから。あるいは、戦勝祈願の場にして封印の場であるという両方の可能性もある。何にせよ紅葉と諏訪の神の関連性を物語るものであることに違いはない。

諏訪の神と鉄の関係
 話が前後してしまうが、諏訪と山の民の関連として、「鉄」というものも挙げておきたい。先に述べたように、諏訪の土着神洩矢神は、建御名方神との戦闘において「鉄の輪」をもって戦ったという。そして守矢家のミシャグチ神の祭儀には、鉄が重要視されている。佐奈伎(さなぎ)と呼ばれる銅鐸ならぬ鉄鐸、即ち鉄の鐘は今も守矢家に伝わっている。また諏訪大社は美濃の南宮大社と並ぶ冶金の神であったという。このように諏訪とは金属、鉄と非常に深い関わりのある神である。
 一方、山の民達は山に住むだけに鉱脈を知り、鉱産資源を掘り出して加工することを生業とする産鉄民でもあったという。狩猟と冶金という二つの要素を通して、諏訪と山の民とは深いつながりがあった。また古代製鉄が盛んな場所といえば、出雲であり、もう一つは東北であった。どちらも皇朝への反逆者の土地である。出雲の製鉄は、八岐大蛇から出てきた草薙の剣の神話が産鉄民を征服した話だと見る向きもあるし、古代のたたら製鉄の跡が数多く見つかっている。東北の製鉄は、あまり有名ではないが、日本刀のルーツとされる、正倉院の宝物の中にある「舞草」銘の古代刀によって知られる。この「舞草」は岩手県にあり、非常に加工が容易で質の高い鉄を産出した。後世でも岩手は南部鉄器で知られるように鉄の産出地であり、現代でも新日鉄の釜石工場は有名である。
 ミシャグチ神が縄文の信仰を伝えるものなら、鉄との結びつきは奇妙であるといえば奇妙である。なぜなら日本における鉄器の使用は弥生時代以降のこととされているからだ。後世、縄文の末裔達が山の民となり鉱業を生業としたことの反映であるといえばそれまでだが、実は製鉄の起源を縄文に遡る説もある。それこそ舞草で出るような加工のし易い磁鉄鉱石はそれほど高温でなくとも加工でき、大量生産は無理でも狩猟採集の道具ぐらいは簡単に作り出せたということだ。世界的にも、鉄青銅先行説というのものもある。鉄は青銅に比べて劣化しやすいため残っていないだけで、加工方法によっては鉄の方が温度が低くて済むから、という理由である。かつて、奈良時代以降中国から伝わったというのが常識だった漆が、縄文遺跡から大量に出土した漆器によって覆された。鉄器に関しても、同じようなことがいえるかもしれない。既に、学界で取り上げられつつあるようである。そして、貴重だったからこそ、鉄鐸のように信仰の対象となったのであろう。

紅葉と製鉄
 この、諏訪と山の神を結びつける鉄── これが意外なことに、紅葉にも深い関係がある。鬼無里に残る、紅葉が住んだという内裏屋敷の跡で、九~十世紀頃の土師器とともに、鉄滓(てっし、製鉄の際に生じる鉄屑)が発見されているのである。鉄滓は、製鉄を行わなければ生じない。そして、九~十世紀とは、まさしく紅葉の生きた時代なのだ。ここから導き出される答えは一つ。紅葉は製鉄技術を持っていたということである。そしてそれは、産鉄民たる山の民と、鉄信仰を持つ諏訪の神との結びつきを示すものなのである。あるいは、製鉄技術を求めて産鉄民に近づいた清和源氏との関係すら、浮かび上がってくるのだ。さらに言うと、鉄滓を出土した内裏屋敷遺跡は縄文時代からの遺跡である。縄文時代から連続して人が住み続けた場所なのである。紅葉と縄文の末裔とのつながりをも、示唆するものだ。なお、先に出てきた八坂村の紅葉鬼人は赤い顔だったというが、これも産鉄民との関係を物語る。鬼が赤い顔であるのは伝承上一般的なことではあるが、それは繰り返しの溶鉱作業の末に赤く焼けた顔を持つ、産鉄民の特徴を表すものだという。
 それにしても、内裏屋敷からの鉄滓の出土は、驚くべきことである。紅葉とは、ただの伝説上の悲劇のヒロインではないことは間違いない。太古からの信仰を受け継ぐ強力な女性シャーマンであるだけでなく、多彩な芸能と教養を身に付け、医者でもあり、先端技術の技術者でもあった紅葉。村人から尊崇の念を抱かれるのも当然なら、中央から危険人物とみなされるのもまた当然であろう。内裏屋敷の鉄滓は、そのような歴史的現実味を持つ考古学上の遺物である。



紅葉伝説考二へ 紅葉伝説考六へ 道先案内へ戻る