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土蜘蛛紀行 筑後編
其之壱、山門─ヘ、こうやの宮
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狭山田女:女山を降りて、平地に戻ってきたね。山からも、結構遠ざかったよ。
大山田女:山門というのが山の麓に開けた土地だとよく分かりますね。ここは同じみやま市瀬高町の南部、太神(おおが)です。細かく言えば鬼木(おにき)という字になります。さて、今回の目的はこちらの高野(こうや)神社です。「こうやの宮」と通称されています。

狭山田女:割と新しい建物だね。最近建て直したのかな。
大山田女:磯上物部(いそのかみもののべ)神社とも言うそうです。こちらにはとても不思議なご神体が納められており、作者の大宮司が、神社を管理されている氏子の方の了解を得て、見させて頂きました。
狭山田女:へえ~、大宮司も頑張ったね。

大山田女:そしてこちらが、神社の中です。
狭山田女:おおおおお~、この五つの像が、ご神体なのかあ~。
大山田女:この五体の神像のうちの一体が、大変珍しい特徴を持っています。左から二番目の像ですね。よく見てみましょう。

狭山田女:この像?何だか大陸の人ぽい格好だね……手に何か持ってるよ。これは……枝?いや剣かな?変わった形だね。
大山田女:はい、剣です。ただし、「七支刀(ななつさやのたち、またはしちしとう)」という極めて特殊な剣です。この像は「七支刀を持つ神像」として、市の有形民俗文化財に指定されています。
狭山田女:七支刀か。こんな形の剣、見たことないなあ。普通の武器じゃないよね。それこそ、祭祀に使うようなものだね。
大山田女:はい、実物がただ一つ、大和の石上神宮(いそのかみじんぐう)のご神体・布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)として存在します。

狭山田女:えっ、大和の神社のご神体?
大山田女:しかも、石上神宮というのは、並の神社ではありません。古代の朝廷の武器庫であったと言われており、軍事と神事を司る大豪族・物部氏の氏神でもありました。
狭山田女:物部氏?そうか、この神社は磯上物部神社とも言うって言ってたね。なるほど、じゃあこの像や神社は、物部氏と関係あるんだ。
大山田女:さらに言えば、石上神宮には長い間ご神体として埋められており、それが「再発見」されたのは明治の事なのです。「六叉の鉾(ろくさのほこ)」という言い伝えはあったのですけどね。その「再発見」以前から、このような七支刀の像が信仰されてきたのは、驚くべき事でしょう。

狭山田女:つまり、この像の信仰も、物部氏が活躍していたような、古代まで遡るって事か……。
大山田女:全国に物部氏に関係した神社は多数ありますが、七支刀信仰などというものは滅多に聞きませんからね。石上神宮と、この神社だけと言っても過言ではないかもしれません。この像には、石上神宮か、現存する七支刀本体と直結する由来があるのでしょう。
狭山田女:むむむ、そう考えるとただ事じゃないぞ。
大山田女:この神社や像についての古い記録がないので、詳しい事は分からないのですけどね。ただ、七支刀自体については、百済の王が「七枝刀」一振りを日本に献上したと、日本書紀に書かれています。

狭山田女:日本書紀にも出て来るんだ。百済からの贈り物かあ。それでこの像も大陸風の格好なのかなあ。
大山田女:そうですね、何か関係あるかもしれません。なお、日本書紀では、七支刀が献上されたのは、神功皇后の時代の事となっています。これは七支刀に刻まれた銘文にある鋳造年の三年後、西暦三七二年に当たるため、非常に信憑性の高い内容です。そして神功皇后と言えば、この地の土蜘蛛・田油津媛(タブラツヒメ)さんを討った人物ですね。
狭山田女:まさかここで田油津媛さんが出てくるとは……でも、田油津媛さんが討たれたのと、七支刀が献上されたのは、同じ時代だって事か。しかも両方とも山門に言い伝えや信仰があるんだもんね。

大山田女:ええ、もしかしたら田油津媛さんと七支刀には何か関係があるのかもしれませんね。例えば、田油津媛さんの討伐に、物部氏が関わっていたとか。軍事氏族としては不思議な事ではありませんね。
狭山田女:神事も司っていたなら、討った後の怨霊鎮め、「鎮魂」も担ったかも。
大山田女:そういえば、若干意味は異なりますが、物部氏に伝わる重要な神事に「鎮魂」というものがありますね。少なくとも、この神社や神像の存在は、古代にこの土地を物部氏が管理した事を物語っている訳で、七支刀伝来の時代を考えると、それは田油津媛さんが討たれた直後である可能性もあります。であれば、物部氏は田油津媛さんに代わって新たに神事を担ったかもしれません。土地の安定的な統治の為に。

狭山田女:なるほど……その神事のシンボルが、七支刀だったのかもしれないね。あとはもしかしたら、もっと直接、元々田油津媛さんと物部氏に何か関係があったとか。
大山田女:卑弥呼との関係も取り上げられる田油津媛さんですからね。そういう事もあるかもしれません。こちらは参考写真。これが石上神宮の社殿です。

狭山田女:これは七支刀の模型?
大山田女:石上神宮で頒布されている、七支刀を象ったブローチですね、こちらも参考までに。なお、このこうやの宮は、百済から献上された七支刀が、一旦安置された場所という説もあります。物部氏がそれを管理し、最終的に石上神宮に奉納されたという事ですね。

狭山田女:他の神様の像も見てみよう。この像が真ん中にあって一番大きいから、中心の神様だね。冠を被って、笏を持って……お公家さんみたいだな。
大山田女:五七の桐の紋が付いた装束を着ていますね。この五七の桐というのは、元々は皇室の紋なのですが……ただ、後世様々な家で用いられた紋なので、何とも言えませんね。ただこの像こそが神社の主であり、七支刀を持つ像はそれに従う立場です。これは天皇と物部氏という関係を思い起こさせるものではありますね。
狭山田女:そうか、七支刀の像ばかり見てたけど、よく考えたらメインの神様じゃないんだよね……。


大山田女:中心の公家のような像の次に上位にあるのは、右から二番目のこの像です。その次、三番目の位にあるのが、七支刀を持つ像ですね。
狭山田女:これは女の人?髪も長いみたいだし、鏡を持ってるよね。女神様かな。もしかして田油津媛さんだったりして……さすがにそんな事はないか。
大山田女:そうですね……最上位の中心の像が天皇で、第三位の七支刀を持つ像が物部氏またはその祖神・饒速日命(ニギハヤヒノミコト)だとしたら、間の第二位にあるこの像は、皇后という事になるでしょうね。神功皇后かもしれません。すると、中心の像は、夫の仲哀天皇か、子の応神天皇でしょうか。一般的な信仰の強さを考えれば、八幡神である応神天皇かもしれませんね。

狭山田女:一番右のこの像は、第四位の神様か。ちょっとよく分からないけど……老人の神様かな。
大山田女:ええ、白髪の老人の神像という事です。今述べたように、中心の像を八幡神である応神天皇か仲哀天皇、第二位の女神像を神功皇后、第三位を物部氏かその祖神・饒速日命という流れで考えるなら、景行天皇から仁徳天皇の五代に渡って仕えたという伝説的な大臣、武内宿禰(タケウチノスクネ)かもしれません。大変な長命を保ったという事で、老人の姿で表される事が多いですからね。神功皇后が神懸りとなったとき、審神者(さにわ)を務めたという話があるくらい、皇后の傍らにあったという印象も強いです。もっとも物部氏との上下関係には、若干疑問が残りますが。

狭山田女:最後のこの神様は?赤い肌で半分裸で、頭に皿が載ってる。頭に皿って事は……もしかして河童?
大山田女:ええ、その通り河童だそうです。他の像と比べると随分違和感がありますけどね。この像だけ人ではない訳ですから。
狭山田女:河童って妖怪だよね、その後の土蜘蛛みたいにさ。ん?もしかして……。
大山田女:古代に一応は人間とされていた土蜘蛛が、中世以降零落して蜘蛛の妖怪と化したように、河童も元は水の神だと言われています。この異端の像を敢えて今までの話と結び付けるなら、物部氏が従えたこの地の土着民、土蜘蛛なのかもしれません。山門は今も水都として有名な柳川を含む、水の豊かな地。田油津媛さんやその一族は、水辺の民でもあったでしょう。

狭山田女:その象徴として、河童の像を祭ってるって事か。
大山田女:もちろん、私の推測に過ぎませんよ。後世の信仰が混ぜ合わされただけかもしれませんから。このあたりには河童の信仰もありますしね。そのルーツが土蜘蛛にある可能性はなくもないですが。それから、七支刀の像を物部氏とするにしても、大陸風の格好をしているのは奇妙な事ですね。とにかく謎の多い像です。
狭山田女:そうだねえ、こんな像が伝わってるところも、さすがは「ここぞ邪馬台国」って言われる土地だね。それにしても、実はさっきから気になってたのが、「七支刀」を持ってるっていう割には、この像が持ってる剣は枝が一本足りなくて「六支刀」になってることなんだけど……。
大山田女:ええ、物理的に欠けてしまったのか、元々このような形なのか……一つ気になるのは、石上神宮にご神体として埋められた七支刀が、「六叉の鉾」と言い伝えられてきたという事ですね。その事と何か関係あるかもしれません。また付け加えておくと、石上神宮に祀られる「布都御魂剣」は、天孫降臨の前に建御雷男神(タケミカヅチノオノカミ)が日本を平定するのに用いた剣であり、東征で危機に陥った神武天皇を救った剣だと、神話に書かれているのです。また素戔嗚尊(スサノオノミコト)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を斬った剣が、石上にある、という神話もあります。いずれも古事記や日本書紀に書かれている事です。これら全てが一本の七支刀を具体的に指しているのかどうかは分かりませんが、「石上神宮に祀られる剣」といえば、荒ぶる悪神や天皇に従わない者を斬り伏せるものの代名詞である訳です。
狭山田女:なるほど……で、この山門で、荒ぶる神というか、天皇に従わない者と言ったら、土蜘蛛の田油津媛さんか、同じ墓に葬られていて、同一人物の可能性がある葛築目(クズチメ)さんしかいないよね。
大山田女:はい。そうした土地に「布都御魂剣」を持つ神像があるというのは、無関係とは思えませんね。
狭山田女:……田油津媛さんや葛築目のさんの怨念を鎮めるためか……。
大山田女:それだけとは言えませんが、そういう意味が含まれている可能性は、かなりあると思います。
狭山田女:う~ん、それにしても謎の多い像だ。でも、こんな貴重な像を守りつつ、学者でもない記者でもない一般人に公開してくれた、氏子の方には感謝しなきゃね。
大山田女:本当にそうですね。この場を借りてお礼を申し上げます。


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大山田女:本当にそうですね。この場を借りてお礼を申し上げます。
狭山田女:ありがとうございました。
大山田女:さて、先程「水辺」という事を言いましたが、そうした伝承を伝える場所が、この近くにあります。しかも、それが土蜘蛛と少し関係あるのです。
狭山田女:それは気になるね。次はそこへ行こう。こうやの宮への行き方は、左の地図を参照してね。



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