─白骨温泉─

 長野県の岐阜県境近く、乗鞍岳の麓、標高千五百メートルほどの谷あいにある由緒ある温泉。鎌倉往還が通っていたことから鎌倉時代からその存在が知られていた。戦国時代には武田信玄が銀山の採掘人の傷を癒す目的で使い、江戸時代には湯宿も開かれ湯治場として栄えた。噴出時には透明な湯だが、空気に触れるとやや青味を帯びた乳白色に濁り、その神秘的な色合いから古くは「白船」と呼ばれたが、中里介山の大河小説「大菩薩峠」で「白骨」の名で呼ばれてからはこちらが一般的な呼称となった。また「三日入れば三年風邪を引かない」といわれ、湯治場としての人気も高い、まさしく霊泉の名にふさわしい温泉である。
 そうした歴史ある信州の名湯なのだが・・・平成十六年七月、入浴剤混入騒動でマスコミに取り上げられ、まったく別の方向で一躍有名に。温泉組合が管理する公共浴場と、元温泉組合の会長である村長が経営する宿、ほかもう一軒の宿で草津温泉の「湯の花」を混入していたことが発覚。源泉の移動やポンプの故障などにより湯の白濁が薄くなり、客からクレームがついたために取った苦肉の策だったようだが、その安易さに流されてずるずると長期間混入し続けた模様。田中康夫知事のもと長野県は白骨温泉も含め県内の全ての温泉を調査、白骨の公共浴場は休止となった。さらに、白骨温泉でも最大規模の温泉宿「白船グランドホテル」(上記二軒の宿とは別)が、先の県の調査の際に混入はないと虚偽の報告をしていたことが判明、田中康夫知事自ら調査に乗り出し、調査中に従業員が入浴剤のボトルをこっそり持ち出そうとした現場を押さえられてしまうというお粗末な結果に。村長は辞職を表明、環境省が全国の都道府県に同様の事例があれば報告するよう要請するという大騒動に発展した。
 この温泉ブームの光と影を象徴する温泉、筆者は騒動の半年ほど前と騒動直後に訪れたが、騒動前は温泉に至る細い山道を観光バスが激しく往来する盛況ぶりだったのに比べ、騒動後は相変わらず自家用車の数は多かったものの観光バスや団体客の姿は見かけなかった。当地の温泉宿ではキャンセルと苦情、問い合わせ等が殺到したというから当然といえば当然であろう。しかも騒動後に訪れた日は田中康夫知事直々の調査の翌々日。関係者の間には張り詰めた雰囲気が漂っていた。特にさして前後の背景を知らずに訪れた「白船グランドホテル」の従業員は、こちらが行っていないとは知らずに日帰り入浴を求めたこともあるが、接客業の人間からは滅多に見ることできない、眉を八の字にした明らかに困惑した表情を浮かべていた。翌々日のこととあっては、さもあろう。
 筆者が訪れたのは騒動前も騒動後も同じ「泡の湯」。大正時代から建つという由緒ある旅館。ここは入浴剤混入とは無関係のようだが、騒動直後ということで本来八百円のところが五百円に割引されていた。日帰り入浴は基本的に宿泊客とは別施設の外来用外湯のみなのだが、早い時間のうちは旅館内の内湯と大野天風呂も入浴できる(料金は外来用とは別々)。大野天風呂は混浴で巨大な露天風呂だが湯温はぬるめ。自家源泉100%でかけ流し(循環させていない)ということなので源泉そのままの温度なのだろうか。内湯は空気にあまり触れていないためか濁り具合は薄い。しかし外来用と両方入るのならばむしろ内湯を楽しむべきか。なおこの「泡の湯」だけは温泉街から外れたやや上方の山の中にある。上の写真は「泡の湯」の外来湯。


「泡の湯」旅館外来入浴入口。

旅館内の内湯。



旅館内の大野天風呂。



騒動の舞台となった「白船グランドホテル」。



休業中の張り紙のある公共浴場入口。

<白骨温泉>(泡の湯源泉)
所在地:長野県南安曇郡安曇村白骨温泉
泉質:含硫黄カルシウム・マグネシウム炭酸水素塩温泉[硫化水素型](中性低張性温泉)
泉温:39.5℃(調査時気温5℃)
湧出量:1600リットル/分(掘削による自噴)
PH値:6.5

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