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土蜘蛛紀行 肥前編
其之弐、吉野ヶ里遺跡─ロ、北内郭、北墳丘墓など
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狭山田女:北内郭の手前にも、建物が並んでるよ。
大山田女:ここは「中のムラ」と呼ばれていて、北内郭で行う祭祀に使うためのお酒や絹織物、祭器などを作っていました。ここは特殊なムラですが、吉野ヶ里には一般の人達が住んだムラがほかにもあります。
狭山田女:まさに「ムラが集まってクニになった」って事だね。

大山田女:ここが北内郭の入口です。
狭山田女:南内郭よりもずっと厳重な柵だね……。
大山田女:二重の濠と柵が巡らされているんですよ。
狭山田女:入口の通路も鍵形に折れ曲がって、真っ直ぐに入って来れないようになってる。
大山田女:こういう造りは中国の城郭都市によく見られるそうですよ。

狭山田女:ここが北内郭かあ。建物が密集してるね。大きな建物もあるし。
大山田女:先程少し言いましたが、ここは吉野ヶ里の祭祀を行う神聖な場所で、建物もそれに関連したものです。
狭山田女:つまり「神殿」かあ。それで「王宮」の南内郭より警備も厳重な訳だ。
大山田女:あの大きな建物に入ってみましょう。

大山田女:この「主祭殿」は三階建てになっていて、一階は柱と梁だけですが、二階と三階には部屋があります。
狭山田女:二階の部屋に偉い人達が集まってるよ。
大山田女:ここでは王や支配者層の人々、周辺のムラムラの長達が集まって、吉野ヶ里のクニ全体に関わる重要な会議を開いている様子を再現しています。


狭山田女:三階では巫女さんがお祈りしてるよ。あたし達みたいだ。
大山田女:ここでシャーマンが神託を授かり、その結果を受けて二階の会議を進めるのでしょう。
狭山田女:奥で琴を弾いているのは審神者(さにわ)かな。
大山田女:巫女をトランス状態に導き、神託を解釈する役目ですね。

狭山田女:内側から見下ろすと、北内郭の警備の厳重さがよく分かるね。奥に見える台形の土盛りはお墓かな?その手前に神殿みたいな建物もある。高い柱も立ってるよ。
大山田女:向こうは「北墳丘墓」、王家の墓と、そのための礼拝施設です。今度はあちらに行ってみましょう。

狭山田女:埋められた甕がいっぱいあるよ。ここもお墓だね。
大山田女:墳丘墓に向かって、六百メートルの長さに渡り二千基以上もの甕棺が整然と並べられており、「甕棺墓列(かめかんぼれつ)」と呼ばれています。吉野ヶ里には、所々にまとまって一万五千基以上もの甕棺が埋められているそうです。

狭山田女:これが王家の墓かあ。柱はご先祖様の宿る依代だね。
大山田女:この墳丘墓からは十四基の甕棺が見つかっており、歴代の王が葬られたと考えられています。王墓の前へと大きな溝が続いていて、最後は階段になっていますが、これは環濠と繋がっていて、環濠の外から来る参拝者のための道だそうです。

狭山田女:環濠の外から……分家して外に住んだ王の子孫かな。吉野ヶ里は宗教都市でもあったんだ。
大山田女:そうですね。なお、墳丘墓の甕棺からは、ガラスの管玉や、柄も含めて全て青銅で作られた「有柄把頭飾銅剣(ゆうへいはとうしょくどうけん)」という大変珍しい剣も見つかりました。これはそれを復元したペーパーナイフです。

狭山田女:おお~、カッコイイね。これもセンターの売店で売ってるのかな?
大山田女:いえ、これは南内郭の近くにある、吉野ヶ里の出土品の展示室でしか売っていないみたいですね。ちなみに、後ろにある漢字ばかり並んでいる紙は、このペーパーナイフが入っていた袋ですが、「魏志倭人伝」のテキストが書かれています。
狭山田女:「魏志倭人伝」って言うと、邪馬台国や卑弥呼とか、古代の日本について書いてある中国の古文書だよね。
大山田女:ええ。この吉野ヶ里遺跡は、「魏志倭人伝」に書かれている邪馬台国の様子によく似ており、一時期話題になりました。
狭山田女:邪馬台国かあ。これだけ大きな遺跡だったら、そう思うかもね。
大山田女:今では、九州北部にあった数あるクニグニの一つという見方が、大勢を占めているようですけどね。「魏志倭人伝」と言えば、当時の日本はクニグニによる戦乱状態で、それをまとめたのが卑弥呼だと書かれていますが、既に見て来たように、吉野ヶ里は戦を想定した、厳重な防御設備がありますし、頭部を失った人骨や沢山の矢が打ち込まれた人骨、切先が破損した武器など、激しい戦闘を思わせる出土物もあります。
狭山田女:大変な時代だったからね。あたし達の頃も。
大山田女:ただ、吉野ヶ里は弥生時代の終わりとともに消滅はしてしまいますが、滅ぼされた跡はないそうです。最後の住民達は環濠に大量の土器を捨てて埋め尽くし、出て行ってしまったようです。ただし、周りの小集落はそのまま残り続けます。これらの事から、大和王権やそれに類するような巨大な勢力のクニグニの統一によって戦乱の世が終わり、このような防御設備のある都市の必要がなくなったからとも言われています。


大きな地図で見る
狭山田女:なるほど。あたし達も最終的には戦乱を避けて平和を選んだからね。避けられなかったムラも沢山あったけどね。
大山田女:そうですね。その戦乱の世の最終局面に生きたのが、私達のような「土蜘蛛」と呼ばれる者達ですね。辛い過去を振り返る事になりますが、次は肥前における「土蜘蛛」の戦いの跡を訪ねてみましょう。吉野ヶ里遺跡への行き方は、左の地図を参照して下さい。



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